≪The Dream of Temüǰin≫ 作曲:佐原 詩音 馬頭琴ソロ:末留かおり
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- Опубликовано: 2 янв 2025
- 2021.12.1初演 北とぴあ・つつじホール
コンサートプラン・クセジュ主催
Asia~音楽の脈動~第ニ夜
~解説~
タイトルは、「テムジンの夢」。テムジンとは、チンギス・カーンの幼少期の名前で、若かりし頃の彼の夢が、モンゴル帝国拡大へ向け、壮大に奏でられる予知夢のような、目が覚めて記憶にない悲しみに襲われるような作品として作曲した。
モンゴルでよく使われるタンタカタンタカという「馬の駆けるリズム」は、この曲ではとめどなく移調するが、これは轟然と鳴り響く万馬の疾走や、チンギスが実際に行った長距離の遠征で一人の兵士が何百もの馬を乗り継いで敵地へ向かうといった表現である。その奥には彼の人生を駆け巡る人々の往来が隠されている。
~研究コラム~
チンギス・カーン(左の文字はモンゴル語、漢語では成吉思汗、1162年? - 1227年?)は、モンゴル帝国の初代皇帝である。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。この最盛期、ヨーロッパの一部からトルコ、アフガニスタン、中国、朝鮮半島までを征服し、地上の四分の一を領土とした人口総数1億を超える大帝国となった。
チンギス・カーンは豪快な性格だが非常に寛大で、リーダーシップにも優れていた。そのため彼の父親を慕っていた盟友たちはやがて彼の下に集まるようになる。こうしてチンギスはモンゴルの中でも有数の力を持つ勢力のリーダーになり、たとえ敗北しても、そのカリスマ性から離脱した部族を取り込み、さらに勢力を拡大することになる。
チンギスは協力した部族長や部下たちに征服したモンゴルの土地と人民を分け与え、支配・管理させた。また、彼らに「貴族」の称号を与え、階級制度を導入する。彼は戦略やカリスマ性に優れた指導者であるだけでなく、協力者や部下にも十分な褒美を与える度量の大きさを持っていたのだ。こうしてモンゴル帝国は大きく発展した。
チンギスの死後、帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、遊牧民の偉大な英雄として賞賛された。特に故国モンゴルにおいては神と崇められ、現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている。
馬頭琴(Морин хуур,モリンホール)はモンゴルの代表的民族楽器である。木製の胴に竿があり,これに張られた弦を馬の尾の毛で作られた弓で擦って音を出す。という点では,バイオリン・チェロと似ている。弦は見かけは 2 本だが実際には一本の弦が緒止めで折り返されている。これはカザフの民族楽器のドンブラーも同様である。このことから楽器の分類としては,ヴァイオリン属・ヴィオール属よりリュート属に近いと考えられる。馬頭琴はモンゴルだけでなく中華人民共和国内モンゴル自治区でもよく見かける楽器である。モンゴルの楽器と内モンゴルの楽器には構造上と調弦の方法に若干の違いがある。構造上の違いとしては,糸巻部分があげられる。モンゴルの楽器の糸巻部分はチェロのそれと同様の構造であるが,内モンゴルの楽器はギターのようなギアで巻き締めるようになっている(金属加工技術が稚拙だった時代には,動物の骨などが使われたと思われる)。
調弦方法はモンゴル,内モンゴルの楽器共に 2 本の弦が開放弦の時に完全 4 度になるように合わせるが、この時、モンゴルでは(低い方から)F・B♭,内モンゴルでは G・C とするのが普通である。本日はF・B♭を開放弦として作曲した楽譜を演奏していただく。日本の三味線でも曲により本調子・二上り・三下りという調弦方が使いわけられるのとよく似ている。
馬頭琴は“モンゴルの心”といわれ,現在モンゴル政府はゲル(遊牧民の移動式住宅)の家庭全戸に馬頭琴を持たせるという施策をとっている。